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東急世田谷線=玉電

IMG_2528世田谷

もう、一週間ちかくたってしまいました。
友人と玉電界隈をあるいてきたのは、19日のことでした。

IMG_2529玉電
三軒茶屋で待ち合わせ。


IMG_2533松陰神社

まずは、松陰神社前で下車。
15分くらい歩くと清新な 神社のなかに。


IMG_2538ふたり@
右、歴史、文学好きな歴女、walking dictionaryともいう。
左 何事にも大雑把で鈍チンカン女のワタクシ。
これが絶妙なコンビ。


吉田松陰の墓があるので 以下記の建物同様のものがありました。


以下は 執筆者:広田暢久のお話をどぞ!
松下村塾(しょうかそんじゅく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .幕末期、長州藩萩(はぎ)町(山口県萩市)に開設された私塾。吉田松陰(しょういん)が主宰し、明治維新の志士を輩出したことで有名。1843年(天保14)ころ松陰の叔父玉木文之進(ぶんのしん)が自宅に開設したものであるが、文之進の任官とともに中断していた。しかし、56年(安政3)出獄して自宅謹慎中の松陰が近隣の子弟に兵学を講義するようになると、当時玉木から久保清太郎に移っていた松下村塾(隣家であった)と合体し、57年には松陰が主宰者となった。58年には塾生が数十名となったので、庭内に師弟協力して1棟を増築した。このころ、富永有隣(ゆうりん)が出獄し、同塾で一時教えたこともある。

ここでの松陰の教育は、かつて藩校明倫館(めいりんかん)で教えたような、知識を広め見識を高めるだけのものではなかった。兵学講義のなかに、現実の政治状勢(外国の侵略)に対応できる軍事知識と識見を注入した。同年、都濃(つの)郡戸田(へた)村(周南(しゅうなん)市)から青年26名が来塾し、塾生とともに銃陣の稽古(けいこ)をしたのは、軍事知識と軍事教練を習得するためであった。また同年、老中間部詮勝(まなべあきかつ)を要撃しようとした計画は、外圧に屈した幕府を覚醒(かくせい)させるためであった。このように、松陰の教育は学問と実践が表裏一体をなすものであり、ここに松下村塾教育の特徴があった。しかし、同年末に松陰は安政(あんせい)の大獄に連座して再入獄し、翌59年江戸に送られて刑死する。このため同塾は閉鎖されるが、門人からは高杉晋作(しんさく)、久坂玄瑞(くさかげんずい)、伊藤博文(ひろぶみ)、山県有朋(ありとも)、前原一誠(いっせい)など多くの志士が輩出した。 [ 執筆者:広田暢久 ]


また、以下の表記もヤフー検索の中にありました。

ほめて人の長所をのばした松蔭 松蔭は人と言葉を少し交わしただけでその人物の長所・短所・将来どのような方向へ伸びていく可能性があるのかを見抜いてしまう不思議な才能があったようです。そうして、その長所を「防長随一」とか「天下一」という言葉でほめて、本人すら気づいていない潜在力を引き出していったのです。

なるほど!
若くして亡くなった、国を思う志士達・・・


つづく。

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  • Author:ruby-mama
  • 2004年2月7日生まれの
    キャバリア・ブレンハイム
    ruby(女の子)との日々を
    つづっています。
    身の回りの植物に目をとめては
    立ち止まります。

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